のんです。
長女はつらいよでは、本家に生まれた姉妹の長女ならではの、両親のこと、家のことで起こったさまざまな出来事を備忘録もかねてお届けしています。
同じ境遇の方、これから心の準備をしておきたい方、同じ立場のお子さまを持つシニアの皆様。誰かの為になれば幸いです。
山のてっぺんにあるお墓
突然ですが、皆さんのお墓はどこにありますか?
街の中にある人から、郊外の墓苑など、様々かと思います。
今からお墓を準備しよう!という人の中で、「山のてっぺんに建てよう」という人は、よほど山登りが好きな方か、見晴らしの良い場所で死後暮らしたいとか。
そういう方を除いては、そんなにいらっしゃらないのではないかと思います。
私の実家のお墓は、まさに「山のてっぺん」にありました。
このように、お墓から海が見渡せる、すばらしい光景で、
「亡くなったおじいちゃんは、いつもこの景色を見ているんだ」
と、親から教えられ、子供心ながら、私もここに来るのが神聖な儀式のようで、張り切って山登りをしていたものでした。
思い出してみると、今の私と同年代ぐらいのときの父が、私に言っていたことです。
「まだまだ自分は若い、生きていける」
と、妙な自信があるときですね。
老いていく両親と、負担になる山登り
母は生まれつき足を悪くしており、日常生活には支障が無かったものの、家の田んぼでコメ作りをするうちに、徐々に悪化させていきました。
走る事は元々無理でしたが、なんとかこの山登りの墓まいりはできていた状態ではありました。しかし、私が高校生くらいになると、徐々にお線香と供物を私と父に渡し、見送るだけの役目を担う事が増えてきました。
妹はといえば、先祖を敬うとか、お墓まいりをするとかに関心が薄く、自分自身にも問題を抱えていたこともあり、「家のことは姉にお任せ」の所が多々ありました。
子供の頃は「長女」という立場はあまり気にしていませんでしたが、自然と「本家の長女の役目」を考えるようにはなっていたのが、この山登りな墓まいりだったかもしれません。
しかし、私が嫁に出たら、このお墓は誰が見るんだろう?
という不安は、まだ父が元気で一人でもシャッシャと登っていたので、そんなに感じていませんでした。
お墓まいりと”お寺さん”
なぜ、お墓が山のてっぺんにあるか。
それは、
お寺が山とセット
だからです。
檀家さんはすべて、この山にお墓が建てられます。
御堂の中にも位牌があり、山にお墓があり。
すべてひっくるめて、このお寺のお世話になるのです。
まず、第一段階の階段を駆け上り、たどり着いたところにあるお寺にお布施等々お渡しします。
そして、水をくみ、山のぼりです。
幸い、階段はあったものの、石をランダムに埋め込んだ、「なんちゃって階段」で、スロープもありません。
このようなお墓が先祖代々受け継いで来られたのは、「受け継ぐ人がいたから」でしょう。
そして、盆、暮れ、お彼岸。
我が家には「お寺さん」つまりお坊さんがお経を上げに来られていました。
ときに、送迎もすることがあったようです。
このシステムは、「その家を継ぐ人がいる」家だからこそ成り立つことであり、姉妹でいずれは嫁に出るであろう、実家には「その後」のことを考えなくてはならかったのですが、両親とも健在なこともあり、その問題は先送りになっていたのでした。
娘が進学のため、他県へ
高校を卒業し、私は他県で学生となりました。
その間も、お墓まいりに関しては、父がせっせと一人で行っていたようで、私も盆と暮れにはお付き合いをすることに。
子供の頃にはあんなに元気でかけ上っていた「山のてっぺんのお墓」が、徐々にハードなスポーツになりつつあったのも、この頃からかもしれません。
「よしっ、いくか」
という気合いが、徐々に必要になっていったのでした。
妹はといえば、相変わらず姉の代わりという風にはならなかったようで、お墓まいりもそんなに熱心ではなかったようでした。
突然降りかかった、墓じまいと改宗問題
その状況は、私が進学を終え、独身時代を実家で約5年過ごしていた間、いくつかの問題を抱えながらも、かろうじて保っていました。
そんな、綱渡り的なお墓まいり事情に、突然のアクシデントが起こったのが、私が嫁に出て約5年後のことでした。