前回は、健康そのもの、生涯現役と思われた父の入院の話をしました
あっぱれ
むしろシニア世代ならではの「自分は大丈夫」という過信があったのだと思う。今日は、その後の実家のお墓参りのことです。
前回のお話はこちらから
親戚とお墓まいり
父が入院した翌日、
遠方から帰ってきた親戚と一緒に、実家のお墓まいりにいきました。
実家に帰ってくると、かねてから感じていた兄(つまり私の父)と兄嫁(つまり私の母)に対する「不平不満スイッチ」が入ってしまったのか、お墓まいりに行く道中、過去のあんなこと、こんなことを私に語り始めました。
幸い、私は親戚にはかわいがられていた・・とは、思うのですが、自分の親を悪く言われて気分が良いはずありません。
いわゆる「板挟み」です(親は知る由もないが・・・)
とはいえ、せっかく帰ってきてくれたのだから、少しは父に対しての愛情もあるのかもしれない。
と思いながら、お墓のあるお寺に到着しました。
あっぱれ
骨肉の争いという言葉があるように、逆にこじれてしまう可能性も高いのかもしれない。だから、エンディングノートとか、遺言とかが必要なのかも
草に覆われたお墓
お寺に到着し、一緒にお墓まいりをしました。
お寺の住職さんにご挨拶をし、御堂内の仏壇に手をあわせ、外でお水を汲んで、さあ、山登りです。
いつものように、山の階段を登りました。
父は当分お墓まいりができないので、私の役目になりそうです。
時おり振り返るうちに、やがて見えてくる海。
ハードだけど、この景色が大好きで、子どものころは「ヤッホー」とさけんでは、こだまが返ってくるのを楽しんだなあ。もうあの頃は戻ってこないんだな。
父があんな姿になってしまったことが、心に重くのしかかります。
さて、登っていくにつれ、なんだかいつもと様子が違う。
お盆前ということで、ややお墓まいりの時期からはズレていたものの、登っても登っても墓石が目に入ってこない。
「・・・雑草が多すぎる」
注:イメージです・・。
環境整備が行き届かず、実家のお墓は草に覆われ、お墓までの道もすっかり草にふさがれていました。
しばし呆然とする私たちでした。
手入れが回らない寺
一緒に登った親戚の気持ちを推し量る余裕もなく、
「おじいちゃんがこれではかわいそうだ・・・」
と、とりあえず草をかきわけ、お墓にたどり着き、一通りの形だけの掃除をし、手を合わせて下山しました。
下山してすぐに、住職さんにお墓のありさまを伝えました。
私が明らかに不快に感じているという雰囲気を察したのでしょう、
住職さん:「お嬢さん、そうは言っても、難しいんですよ。分かってください」
あきらかに迷惑そうな口調で、私にそう伝えられました。
もうお寺の方も山の手入れができなくなるほどなのか・・・。
そういえば、住職さんも御病気等をされていると、母から聞いたことがある。
子供の頃にはわからなかった大人の事情。
「お墓を守るって大変だなあ・・」
としみじみ思いました。
今後のお墓の世話は、誰がするのか問題
お墓まいりをしたあと、親戚は相変わらずぶつぶついいながら、新幹線で帰っていきました。
今後、この父の兄弟が、とんでもない波風を立てていくのですが、それはまた後日・・。
父は相変わらず調子が悪く、誤嚥性肺炎も起こし、意識はもうろうとしていました。
何度か医者に「ヤマです」と言われたものの、悪運が強いのかどうなのか?
徐々に最悪な状態は抜けていきました。
足の悪い母は、仕事を終えた後に、つきっきり。
お墓はあんな状態であったと報告をしつつ、父も気になるし・・・
と。
そのとき、1歳の息子は同居の義両親がしっかり見てくれました。
鬼の同居嫁でしたが、今はその時のこと、とても感謝しています。
そんな中、母に、あのお墓のありさまを伝え、母も
「もう、お父さんも私も山に行けないかもしれない」
と。
嫁に出た私が、あの山にずっと登りつづける。
できないことはないけれど、私が行けなくなったら誰がこのお墓を?
妹をあてにするのは、やや不安が残ります。
問題は重くのしかかりました。
転院先の病院探しに苦労をする
あっぱれ
私まではなんとかなっても、子どもたちが世話をするとは思えないし・・。地元に残るかどうかも怪しいし。
あっぱれ
シニア世代は、転院も難しい
さて、入院生活も3ヶ月目となり、救急で運ばれた大病院は長く入院をすることができず、次の病院を自分たちで探さなくてはならないということに。
未だ、起き上がることができませんが、命に別状が無くなった時点で、転院というシステムだそうです。
リハビリ病院はことごとく断られ、(入院から転院まで2ヶ月程度の患者のみというところとか、空きが無いとか)、頭を打っていることもあり、脳神経外科も視野にいれ、あとは地元の中堅総合病院をあたることに。
そんな中、当時の幼稚園のママ友さんが同郷で、ご家族が入院されていた病院が良いとアドバイスが。
そこからトントン拍子に転院先が決まり、リハビリ前という情報とは違って、寝たきりの父をみてかなり困惑はされていたものの、無事に転院を済ませることができたのでした。
人の縁ってありがたいです
転院先での出会いで「お墓の移転」を考える
転院先では、母が毎日仕事が終わったあと、病院へ通っていました。
母もこれを機に、仕事を辞めることになりました。
いろいろと実家の事情が変わる中、病院での暮らしはスムーズに過ぎ、同室の方ともコミュニケーションが取れているようでした。
父はリハビリをする段階になり、一歩一歩着実に前に。
しかし、もう前のようなハツラツとした歩きはできません。
お墓まいりの問題は、母の心にずっとあったらしく、いつものように同室の方とのお喋りの中でぼやいたところ、年配の男性から思いがけない言葉が。
「今度、●●寺に納骨堂ができるらしいですよ。永代供養もしてもらえるとか」
「永代供養?」
初めて聞く言葉だと、母が電話口で私に伝えたのでした。
先祖代々、おまいりしていたあの墓を移転する・・・。
お墓の移転事情
あっぱれ
NHKのあさイチでも特集が組まれていたし、クローズアップ現代でも取り上げられていたのを見ました。家を継がない子供たちが増えて、「お墓を守る」という習慣が薄れてきたのも昨今の事情です。
あっぱれ
父の入院を機に、代々続いてきたお墓をしまう。
私と母の決断を引き続き、綴っていきます。